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はらぐち閑話  その3

                  発行者 戸畑はらぐち酒店はらぐち会
                       編集責任者 吉本・浦野・前田・大内田・諸岡・安行
                                       発行日  平成23年7月12日16

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若き日のペーソス
                             浦野 廣明
                                   
 もの狂おしい青春の過ぎ去った悲しみは酒のように、時が経てば経つ程強くなる。
 道はもう行き止りだ。未来の荒海は、私に苦難と悲しみを約束している。だが友よ、私は死にたくたくはないのだ。生きて思索し苦しみたいのだ。そして、憂いと不安と苦しみとの中に、歓びがある事を見つけだしたいのだ。
 さあもう一度、妙なるしらべに身を委ね、美しいファンタジァにさめざめと、涙をながそうではないか。そうしたら、私の哀しい晩年に、愛が微笑みを投げかけてくれるであろう。



お酒の呼び名
                          酒夢人:諸岡 昭男  

 小生が若いころに、年配の方や先輩の方々が酒をすすめる時によく「ささ一献」と言っていた記憶があります。この「ささ」とはお酒の別名で、古くは中国でお酒を「竹葉」と呼んでいた。それが日本に伝わり「ささ(酒)」となったそうです。また、防腐剤として笹の葉をお酒に入れたことから「笹(酒)」とも言われたそうです。
 *門司の料亭では、今も笹酒を大杯で飲ませてくれますよ。

 また、酔っ払いを「トラ」と呼びますよね。酔っぱらうと暴れ出し手がつけられなくなる人を。
 *はらぐち会にはいませんが。
 笹は竹林のことで、竹林に棲む王者は「虎」と言われますが、すなわち笹(酒)の王を
「トラ」と呼ぶようになったそうです。
 美人に「ささ一献」とすすめられ「トラ」ましてや「大トラ」にならないように、お互いに気をつけましょう。
 小生のハンドルネームの酒夢人は「ささむひと」です。
赤提灯と縄のれん‥‥居酒屋のルーツ
 お酒が庶民に浸透しだした江戸中期、酒は持ち帰りが殆どでしたが、小売酒屋が「味聞き」のため飲ませたのが始まりだそうです。
 白酒で有名な「豊島屋」が、肴は自家製豆腐を田楽にして酒は大盛りで安価で売り出し大繁盛、その後、同業者が続出した。居ながらにして飲めるから「居酒屋」、当初は肴も簡単な品から徐々に、おでん・芋の煮っころがしなど種類が増すと「煮売酒屋」と呼ばれ大人気になった。

 当時の店の入口は開けっ放しでした。映画などで「縄のれん」を掛けている場面がありますよね、縄のれんを掛けることで開いてますよの合図です。また、蝿が入るのを防いだそうです。
 最初は酒だけでしたので「酒林」を吊るしていましたが、肴を出すようになるとアンコウや鶏の羽根を吊るし「肴あります」の目印にしたそうです。店内で樽と樽に板を渡して座り、大皿に盛って酒を楽しんだようです。

江戸で生まれた「居酒屋」文化はその後、上方(大阪)へと伝わり、大阪・京都では「料理茶屋」と呼ばれ今の「料亭」文化が始まった。
 京都の神社などで豆腐料理を出す「茶屋」が大阪では「酒楼」と称した店が出てきて、これまた大繁盛で今度は逆に江戸に進出した。
 最近は、赤提灯に縄のれんのような店が少なくなっていますが、出張や旅行のとき今でも路地裏で探せばありますね。皆さんも経験があるでしょう。
はらぐちの入口に縄のれんだと江戸時代にタイムスリップ?



らっきょう
                              櫻木 大祐

 20時。『勘定ば…』済まし、外気に触れてふと思う。
 ――知らないトコロへ…――
 当てはない。ないほうがいい。フラフラとゆらゆらと、次の場所を探す。
 今が、ココが、嫌な訳ではないけれど。
 ――コ・コ・デ・ハ・ナ・イ・ド・コ・カ・ヘ――
 そんな気分だった。

俺にとっての酒とは何なのか?
 「緩やかな自傷行為」「法の下のドラッグ」「言い訳の道具」etc…
 どうやらその日の俺は、かなりダウナーだったらしい。

 街をただよい、とある店へと漂着した。小馬鹿にしたように明るい店内には酒が雑然と並ぶ。芋焼酎を数杯飲んだ俺は、珍しく少しばかりの社交性を発揮した。
 気がつくと隣り合わせた客と、何故だか恋愛論を戦わせていた。内容はもちろん覚えていない。

 部屋に帰り着くと猛烈な吐き気が襲ってきた。水分だらけの吐瀉物に、らっきょうが 1つ浮いていた。
 「ハートの片割れ」と呟き、少し笑ってそして少し泣いた。

 実は俺は… さみしいのかもしれない。



飲酒運転
                           安行 啓二

3月末に、はらぐち酒店に角打ちに来た客が飲酒運転で逮捕される一大事があった。
 即刻、はらぐち会として“お願い”の文章を店に張り出すことを決めた。
――先日、当店初めての客が帰りがけに飲酒運転で事故を起こし、女将さんが警察の事情聴取を受け、“始末書”を取られました。店主でなく、同席していた客が加担した罪を問われることもあります。万一再発するようなことがあれば、みんなの愛する角打ちの店の存続も危ぶまれます。一人の出来心による飲酒運転が、みんなの角打ちの店の危機を招いています。角打ちをこよなく愛するみなさん、ご自分の飲酒運転を戒めるとともに、周りのお客にも気配りすることで、角打ちの場を守ろうではありませんか。客有志一同――

飲酒運転で事故を起こしたのは、角打ちをPRする集まりの会員であった。その会は事件の直後、「除名しない」「呑兵衛の集まりの会の不祥事としない」とコメントし、会がこの事件に関わるのを回避する姿勢を示した。あたかも、この事件が表に出て「角打ちのPR」がダメージを受けるのを恐れているかのようにも、また、「飲酒運転撲滅」より「会の発展」に重きを置いているようにも思えた。
コメントの内容を要約すると、
――呑兵衛の集まりの会には「角打ち」をキーワードにいろいろな思いの人が集まっている。「角打ちをしたい」「角打ちの情報を知りたい」「角打ちって面白そう」「いろんな人がいて楽しそう」「仕事につながりそう」「○○さんがいるので」「角打ちは○○であるべきだ」などなど・・・。それぞれの思いをそのまま引き受けて、どの考えにも統一しないというのが呑兵衛の集まりです。会費も会則もない所以です。――
要するに、この会は組織ではない、だから何の処罰もしないとのコメントである。コメントに対し、多々議論はあったようだがウヤムヤになり、飲酒運転の重大性(酒をたしなむに当たっての社会的責任)および店の存続等の問題において、角打ちをこよなく愛する者にとって温度差を痛烈に感じた事件であった。
フィールド(角打ちの場)を守るためにも、“飲酒運転は絶対にしない、させない”と、みなさん、これを機に再確認を!!!



私のビール
まちに生きる音楽家:谷口 淑子

 私は、最近こそお酒を美味しく飲めるようになったけど、本来ののんべぇではない。 
 神奈川の音大を卒業して北九州に帰ってきたころ、親友と出かけたトキオ&マコトーズというバンドのライブで、トキオくんがアンコールの前に「この歌を歌い終わったら、美味しいビールが待ってます!」ってなことを言った。「あぁ、美味しいビールってそういうもんだぁ!」と、妙にそんなことにあこがれた。
 そんな私にも、忘れられないビールの味がある。これまで36年の人生で、一番美味しかったビールといえる。それは、ドイツで飲んだビールだ! 大学3年生の冬、語学研修のため3週間ほどライプチッヒにホームステイした。日本よりすごく寒かったけれど、日本からドイツへと環境が変わったのも手伝ってか? 生まれて初めて、ビールを「美味しい!」と思った。ドイツで聴いた本場の音楽も「まるかった」けれど、ドイツのビールも「まるかった」。
 ドイツ語は完全に忘れてしまったけれど、その時の街の乾いた空気や、一緒に行った仲間たちの笑い声は、今でも残っている。
 私はビールより日本酒党だけれど、特に真夏の暑い夕方に飲むビールは美味しいし、何しろ綺麗だと思う。こないだ知人に連れて行ってもらった中華のお店で出していただいた生ビールも、なんだかやわらかくて美味しかった。店主が「瓶ビールはどこでも同じだけど、生ビールは店によって、人によって味が違うんだよ」と教えてくださった。ほぉ。
 まだまだ、ビールの本当の味はわからないけれど、夕暮れ時、あの綺麗な黄金色を見ると、ちょっと人生がいいものに思える。今年の夏、どんな美味しいビールが私を待っているだろう。



出・会・い パート2
清張の会会長:大野 真由美

 すくすくと順調に育った私は、あれっきりアルコールと縁のないまま大学生となりました。念願のテニス部に入部。もうこの一言で想像できると思いますが、今日に至る酒との本格的な出会いとなります。
 新入生は男子5名、女子2名。歓迎コンパ(当時は中華)では、儀式として新入生に銚子1本分皿についで飲ませました(今は駄目ですよ)。男子が済み、私の番になった時、止した方が…という先輩もなく、やっちゃいました。
 結局、最後まで元気にコンパを終えたのは私一人で、男子は全員ダウン。「こいつは飲める」のレッテルを貼られました。これがのちのちの酒での訓練と失敗の始まりとなります。大学の体育系のクラブとなると、ハイ歓迎!ハイ歓送!ハイ試合の打ち上げ。テニスの腕の上達は平行して酒との付き合いの深まりでもありました。
 角打ち(その言葉そのもの)に初めて出会ったのも一年生の時。練習帰りにラケットを持って先輩方に連れられて近くの酒屋に行きました。ビールがうまかった!!(以後、ヤミツキに…)
 今、考えてみると、この時の私は19歳。飲んでよかったのかなあ???(現役合格しちゃったので)
 その時の先輩方3名が、昨年40年振りに戸畑提灯山笠を見に来られご一緒しました。
まず、角打ちして――。先輩方いわく「えっ、お前、角打ち知ってんの?」「えっ、えっ、えっ、――。先輩が教えてくれたでしょ!!!」
 では、また。


酒とさくらと電車とおいさん‥‥そして馬
大分長浜角打ち学会事務局長:みじんこ 

 ここ数年、毎週のように特急「ソニック」に乗って大分から北九州へ通った。子供のころからの縁があった街とはいえ、週末はほとんど大分にいない、というありさまだった。
 「それもそのはず」と他人に言われるまでもない。いい出会いがあったのである。女性に出会い、酒に出会い、そしておいさんに出会ったからである。最近では、それに馬も加わった。こんな魅力的な街「北九州」は、日本中探してもほかにない。馬を除けば大分にもあるが、大分のそれと何かが違う。
 結婚後、北九州は遠くなったが、私の第二の故郷と思っている。
 いま、ひとつひとつが懐かしくなっていくが、折尾駅、黒崎駅、戸畑駅、小倉駅、どこで降りてもおいさんが待っていてくれる気がする。
 だから挨拶は「こんにちは」でなく、「ただいま」と言わせてもらう。
私の角打ち‥‥その展開期
「どこで呑むん?」「そこんカウンターや」
「じゃあ私はアサヒの……」「じゃねえで、自分で冷蔵庫から取ってくるんや」
「会計は?」「じゃけん、ここは角打ちっち言うたやん」
 これが初めての角打ち体験でした。
 住み慣れた別府市内でもこの風景は見ていたが、自分が経験したのは三十代後半になってから。気づいたときには別府市内から角打ちは消え、大分市内でも数軒を残すのみ。
 このM酒店も、酒類販売自由化の逆風に直面し、閉店して駐車場にする予定であったとか。それが数十年ぶりに角打ちを復活させたのが転機となり、一酒店として生き残ったのである。
 その1年後、店の向かい、歩いて百歩の所に引っ越した。ありがたかったのは、この店の閉店が22時ということ。夕飯と風呂に入った後にビールを一杯飲みに行ける距離。早速通いだしたら、「角打ちは北九州が本場やろ」という声が耳に入った。そりゃ行ってみらんといけん。しかし、知らぬ土地ののれんをくぐるには勇気がいる。
折尾駅を降り、堀川沿いに、うわさに聞くT酒店を探した。店はすぐ見つかったが、店内は知らんおいさんが呑みよん(当然やろ!)。聞きなれない北九州弁にもびびった。二度三度、店の前を行ったり来たり。思い切って入ると、それまで抱えていた不安はあっけなく解消した。店ごとにルールは違えど、角打ちスピリットは同じだった。
 「これならイケる!」。角打ちの梯子(はしご)がここから始まった。出会いは広がるものだ。いまは大分と北九州、そして神戸が角打ちで結ばれた。
 酒は人を結ぶ。酒で人は結ばれる。この時の経験が、今の私と「はらぐち閑話」を結んでいることは紛れもない事実だ。



九州デビュー、実現したい!!
                   ていずいさん:はるな明菜
                   
皆様こんばんは。ていずいさんです。前回は鍋島の歌を歌って、その紹介をさせて頂きました(まだYouTubeに上げていなくて申し訳ないのですが)。CDでお届けした私たちの鍋島の歌が、そちらで大変好評だったとお聞きして嬉しい限りです! みんなに伝えたら、作曲・ギター担当がドギマギしていました。「なしか御手洗酒店」の曲も手がけたいね、とバンドメンバー共々思っております。串カツを見るたびに「はらぐち」を思い出す私としては「はらぐち」という歌も作ってみたいな…なんて思いながら、先日、バンド会議をしておりました。
バンドメンバーが一新し、「本格的に九州に歌いに行こうか!」とプロジェクトが進んでいます。もしも歓迎して頂けるなら、是非歌いに行きたいです! ※ただしていずいさんの体調がもう少し良くなってから(><)
まだホームページも作っていないバンドですが、歌大好き・お酒大好きのメンバー(私とベース担当は香りに酔います)なので可愛がって頂けたら嬉しいです。ホームページができたら、またお知らせしますので、覗いてやってくださいまし…。(ていずいさんブログもよろしくね☆←メッセージを頂けるととても喜びます。)
ちなみに、作曲・ギター担当は非常にシャイボーイです。九州に歌いに行った際にはどんどんいじってあげてください(笑)。お酒は大好きです。ドラム担当もお酒大好きです。是非、皆様と一緒に飲ませてください。Twitterでも「鍋島飲みたい…」「やっぱ豚骨」と呟いています。飲めない二人も一緒にお酒を楽しみます!!
お酒以外の私は、3・11後の経済の不振っぷりにびっくりした勢いで5月11日に会社を立ち上げてしまいました。それも「医療福祉機関向けのISO(QMS・EMS)取得支援コンサル」なんてニッチな…。なしか? ついでに6月11日には「脳梗塞・心筋梗塞は予防できるんだ! 健康ってホントに大事なんだ!」なんていって予防美容のためのラジオ波を使った脂肪溶解エステのサロンまで立ち上げてしまって…。なしか…? 挙句、病気の認定のために厚労省まで赴きディスカッションまで…。なしか…? ブログも大して更新しないままに時間だけが過ぎ去っていくんです…。なしか…?
そんな折、安行さんから「梅雨、うっとおしい時季です。今、強烈に突っ走しっているように見えますがけんちゃなよ? まあ、一息入れてショートエッセイなど如何ですか。待ってます!!」とメールが入り「なしかバレた!?」と思いながら息抜きに投稿させて頂くことに。
前回はちょっとカッコ付けてみましたが、元来、猫被りは苦手なので、今回は「ていずい節」丸出しのエッセイを(しかも半分以上宣伝)。お酒でつながり、世代を超えたお付き合いができることをとても楽しく思っております。いろんな世代が集まるはらぐちの「はらぐち閑話」、とても楽しませて頂いています。ていずいさんのおしゃべりにお付き合い頂いて本当にありがとうございます!
それではまた(o・・o)/~
*ニッチ市場:特定のニーズ(需要)を持つ規模の小さい市場のこと
*ていずいさん:九工大の卒業生、Googleで低髄さんを検索してください、脳脊髄液減少症と闘っています。



角打ちを通じた双六的人生
旅人:松住 隆夫

双六(すごろく)の駒のように、あちこちぶらぶら、時には立ち止まってのんびり生きるのが私の理想だ。双六はサイコロを振って出た‘目’の数だけ駒を進めて、複数人で上がりを競うゲームだが、途中で「二つ戻る」とか「一回休み」とかがあったりして、なかなかすんなりとは上がらせてくれないところが面白い。昔の人は、ただ早く上がることだけでなく寄り道することにも楽しみを見出していたのだろう。
こうした楽しみの奥には「初めのうちは手間をかけるが最後は‘なりゆき’や運に任せる」という考え方があるに違いない。それは「過程が大事、手間をかければそれなりのものが自ずと生まれる」という価値観とも言える。
思うに、九州に何の縁もなかった私が、はらぐち酒店で年に数回であるが角打ちができるようになったことや、こうして『はらぐち閑話』に投稿する機会を得たことは、「はらぐち会」と「北九州角打ち文化研究会」の方々との交流の中で出てきたサイコロの‘目’。そして、角打ちを通して生まれた新たな人間関係や、こうして書き上げた原稿は、‘なりゆき’や運に任せた結果なのだ。ありがたいことである。
そんな中、この夏は、東日本大震災で発生した原発事故の影響によって高度放射能汚染や大規模停電の可能性という問題を抱えてしまった関東地方――自宅がある場所ではあるが、そのようなところには戻りたくないと思うのが、実は私の本音。その願いが通じたか、今度は、大分での角打ちがきっかけで、突如、この地で就職の機会が訪れた。ハローワークで紹介状を書いてもらい面接を受けたら、7月から10月末までの4カ月間、大分でパートに就くことができたのである。
角打ちを通じたまさに理想的な双六的人生の展開――と、この双六、いったい上がりはいつになるのだろうか、こんやた。



私と居酒屋──サンマ刺し身は厚岸
吉本 光一

 旅の醍醐味の一つに居酒屋の探訪がある。お天気まかせ、潮まかせのあてがいぶちの肴で一杯やる。思いがけないその地の新鮮な味覚が心を満たしてくれることが多いが、ときには、あらかじめ目標を設定して、ワクワクしながら出掛けることもある。放った矢が的中したとき、旅の喜び、酒の喜び、的を射た喜びで満足感が三倍増する。

 「サンマの刺し身、一度食べてみんしゃい。まっこと、うまかと、ですよ」
私が「北の魚」と浅からぬ縁であることを知って、しきりに勧めたのは東京本社経済部から転勤してきたゴンちゃんこと権藤満記者 (この6月まで九州朝日放送(KBC)の会長を務めた)だった。厚岸(あっけし)へ行けば、それが食べられるという。33年前、新聞社の北海道支社に赴任していたときのことだ。いまでこそ、全国のすし屋の回転テーブルにサンマの皿が載り、スーパーにもサンマ刺しのパックが並んでいて、生のサンマを口にすることに違和感はなくなったが、当時は道産子でも、刺し身のサンマを味わった経験の持ち主はほとんどいなかった。
そのころ、大手水産業界の大黒柱だった北洋漁業は崩壊し、タラバガニ、ベニザケ、ヒラメ、キンキなど、誕生日や来客時などのお膳に気軽に載ったお馴染みの北洋魚は、高級料亭でしかお目にかかれなくなり、一山100円で並んでいた30~40cmほどの生干しカレイも値が10倍になった。
その一方で、サンマ、サバ、イワシなどの青魚は、ほとんどが家畜や養殖魚のエサになっていた。生サンマの主要な消費地は静岡県のウナギ養殖場。サバ、イワシはミール工場で乾燥魚粉に加工されてニワトリやブタのエサになった。

いまは多獲魚とか大衆魚とも呼ばれる青魚も、その昔は高価な食材だったことが「鯖街道」の名からも察知される。昔の人は若狭湾の小浜から京都まで、山道70余kmの鯖街道を商人が担いで、夜を徹して運び、京の街道沿いにサバすしの店が繁盛したという。 越前福井の地には、夏至から11日目の半夏生 (はんげしょう)の日に家族みんなが尾頭付きの焼きサバを1尾ずつ食べる風習があり、奥地の大野城下からも50kmほど離れた浜へ1日がかりで買い出しに出掛けた。岡山・鳥取県境に近い新見では、腹から開いたサバの骨を取り除き酢でしめて酢飯を詰め、昆布を添えて竹の皮で巻いた姿すしが名物だ。それぞれに、流通手段が乏しいなかで、足の早い鮮度の崩壊と時間を争いながら、人知と精根を傾けて天賦の味覚を生かし今日に伝えた。
 一方、全国に販路を持つ現代の大手水産・流通業界は、豊富で廉価な多獲魚に見向きもせず、高価で利益率が大きく、リスクが少ない高級魚にしがみついている。鮮度が良ければびっくりするほど美味しく食べられる利用可能な魚を、鮮度よく全国の消費地に届け、手ごろな値段で供給するよう、流通の業態と消費者の意識の改革が必要だと、私は「北の魚」の本の中で訴えた。ゴンちゃんは東京で農林水産省を担当していたこともあって、私とは別のルートで漁業関係の情報に通じていた。
 厚岸から30kmほど根室に寄り霧多布 (きりたっぷ)の村 (現在は浜中町霧多布) があって、"僻地医療の神様" といわれた道下俊一医師が四半世紀にわたり、村立診療所と住民の生命を守ってきた。1年ほど後、同診療所を訪れる機会に恵まれて、迷うことなく、その夜は厚岸に泊まることにした。
 厚岸といえば、真夏でも獲れる牡蠣(カキ)が有名だが、その夜は居酒屋の縄のれんをくぐると、真先に悲願のサンマ刺しを注文した。待つほどのこともなく、主が「はい、お待ち」とカウンターに置いたのは、目黒のサンマが一匹乗っかる細長い角皿。姿造り風に行儀良く並んだピンク色の身は2段重ねで厚みを誇示し、おろしショウガとニンニクを添えてあった。
 高校から大学にかけて、お袋が持たせてくれた弁当は来る日も来る日も開きのサンマとタクアンだった。しまいにはふたを開けただけで満腹感を感じるようになったが、親父が同じ弁当で我慢しているのだから文句も言えない。就職して家を離れたとき、ホッとしたのを思い出した。なのに、目の前の二段重ねのサンマの身からは、何の臭みも匂ってこない。口に入れると、上等のかまぼこを潰してオリーブ油に浸したような、上品な奥ゆかしさである。人肌の徳利の数が増えたのは、言うまでもない。その後、サンマの刺し身、にぎり寿司は何度となく口にしたが、残念ながら同じ感触、同じ味覚は二度と伝わってこな
い。落語に登場する江戸住まいの殿様は「サンマは目黒に限る」と言ったが、サンマの刺し身は厚岸に限る。
20年後、福井県の九頭竜川のほとりの料亭で、アユを同じように二段重ねの姿造りにしたのと出会った。あのときのサンマと姿があまりにもよく似ているので驚いたが、口に運ぶと川魚特有のアユの主張が鼻腔をかすめた。厚岸のサンマは、存在感を維持していながら、何の邪魔にもならない。まるでいぶし銀のような風格だ。急流の中で激しい生存競争に明け暮れるアユと、大海原でおおらかな生涯を送るサンマ、両者の対照的なライフスタイルを映し出しているように思えた。

 生の素材の鮮度が全てのサンマだから、行き当たりばったりで飛び込んだ居酒屋でも目指す的を射ることができたが、目当ての品が変わるとそうはいかないこともある。例えば当地でお馴染みのゴマサバ。素材のマサバの鮮度もさることながら、ゴマダレの製法が秘伝だそうで、店ごとに味が違う。居酒屋といえども奥は深い。
 居酒屋と言えば、当然、身近な食材の惣菜だ。これには日本酒が付き物だと、長い間思い込んでいたが、数年前、それが思い違いだったことに気づいた。
 アムステルダムの空港で、乗り継ぎ便の時間待ちにショッピングに回ると、日本人の経営するすし屋の前に空席待ちの行列ができていた。白身魚、イカ、タコなど5種類ほどのにぎりとのり巻きのセットで1000円弱。30人ほどの席がつねに満席で、日本人は3割くらいだ。意外というか、外国人相手なら当然というか、日本酒はなくて、代わりに白ワインのハーフボトルが並んでいた。すしのセットと釣り合いのとれた値段で、トライしてみると、香りと味がこれまたすしとよく調和している。海外では高価にならざるをえない日本酒でなく、あえて手ごろな地のワインと組み合わせたところに、商売繁盛のカギがある、とみたのは思い過ごしか。
 流通・顧客が全国に、世界に広がる時代と、その地の旬の味覚がキラリと光る時代が、裏表に重なって見える。人の間で、現実の世界と遊びの世界が表裏一体であるのと同じように。
*厚岸町:釧路から東へ約50km、人口約1万の漁業と農業の町。水揚高1位がサンマ(年間約20億円)。
*鯖街道:福井県の若狭湾沿岸から現在の国道27、367、303号を経て京都に通じる街道。昔、商人が「京は遠て
も十八里」と歌い、起伏の激しい山道を、夜を徹して海産物の荷を担いで運んだという。
  

                 
編集後記
大分、埼玉、東京と県外の仲間の投稿があった、吞兵衛のつながり(酒縁)は頼もしい。これからも、このつながりを大事にしていきたい。
今月は、「戸畑祇園大山笠」と「くきのうみ花火の祭典」が開催される。また、大分では長浜神社夏祭り、吞兵衛には楽しく嬉しい季節がはじまる(吞兵衛は吞めればいつでも嬉しいが)。
「まぁ、ゆっくり世間話をしていきませんか。お茶でなくお酒を呑みながら」。
投稿をお待ちします。題材、文の長短を問いません。「酒」に縁のある内容で
あれば言うことなしです。
投稿は、はらぐち酒店に預けていただくか、kei2@bronze.ocn.ne.jpへ宜しくお願いします。
「はらぐち閑話」は、はらぐち酒店HP(http://homepage1.nifty.com/hara
guchi/sake/か戸畑はらぐち酒店で検索してください)の「かくうちの部屋」でご覧いただけます。
次回発行は9月7日(8月27日締切り)とします。
                           (今朝の鮭)
        
はらぐち酒店:  北九州市戸畑区中本町4番19号
電話093-871-2150 
sake-tobata@nifty.com