はらぐち閑話 その1
発行者 戸畑はらぐち酒店はらぐち会
編集責任者
吉本・浦野・前田・大内田・諸岡・安行
発行日 平成23年3月14日16
創造力、遊びの心、角打ち
お孫さんの絵本の中に、ワイルドスミスの作品をご覧になったことがおありだろうか。
昨年生誕80周年を迎えたブライアン・ワイルドスミス(イギリス)は、現役で活躍中の世界最高峰の絵本作家である。
日本語でも数々の絵本を出版されているほか、高円宮妃久子さまのオリジナルの文章に画をつけた「夢の国のちびっこバク」など、日本人との共作本も積極的に手掛けている。
私がその画と初めて出会ったのは、赴任先の福井を去る前年、市立美術館で開かれた
「ワイルドスミス・絵本の世界──おとぎの国のファンタジア」の原画展だった。動物や鳥、人物の動きのある姿を、まるで岩合光昭氏の動物写真のように瞬間で捉えて描き出している。その観察力とデッサン力、そして「色彩の魔術師」という異名に恥じない豊かで華麗な色彩と繊細な筆の運びが生み出す力動感と愛情あふれる表情にたちまち圧倒された。とりわけ「ウサギとカメ」「ライオンとネズミ」などに描かれた動物たちは、つい「何を考えているの?」と問いかけたくなるほど魅力にあふれている。
この魅力の源は何なのだろう。そこに集中して会場を一巡し、思い当たったのは、同画伯が子どもに接する真摯な姿だった。上からの目線でなく、水平の目線が全作品を貫いている。子どもに何かを教えようとするのでなく、遊びの世界を子どもと一緒に広げ、その中で、イマジネーションを掻き立てる手助けを一所懸命してあげる姿である。
「動物、鳥、蜂、人間、花、どれもが個々の生命を持っている。私はその内なる生命を表現しているのです」。会場の隅から同画伯の言葉が目に飛び込んできた。「子どもたちにとって、一生涯変わることのない幸福の源泉、それは創造の力です」。
人を病気や怪我から救うのは医療の場、医療サービスである。そこでは、医療サービスの質の良し悪しが寿命や健康状態を左右する。子どもに創造力を育む源泉は遊びの場である。遊びの場を子らと共有しその世界を広げる「手助け」の質の良し悪しが、遊びの世界の広がり、創造力の豊かさ、生涯にわたる幸福の質を左右する。だからその「手助け」に手抜きは禁物であり、小さな点の一つ一つにまで心を込めて丹念に描くのだ、と感じとった。
創造力こそ人の生涯にわたる幸福の源泉であり、遊びの場が創造力の母胎となる。それは、子どもだけなのか。
私たちはだれもみな、現実の世界のなかで絶えず妥協を迫られ、屈辱に耐えながら生活している。そんな情けない自分を見つめ、励ましの言葉を掛けてくれるもう一つの心が自分の中にある。現実の世界から離れたところから自分や世界を見つめる目の奥にある心、それが遊びの心だといってよい。
遊びの心の世界では、だれに遠慮も妥協も要らない。それどころか、遊びの心だからこそ、現実の世界以上に真剣にもなれる。
現実の資本主義世界では、「他人の不幸は我が身の幸せ」といわれるように、金儲けの投資で誰かが成功するときには、他のだれかが損をして傷つく。だが遊びの心の世界、例えばスポーツの場では、だれかが優勝したからといって勝利を逸した人の恨みを買うことはない。オリンピックの金メダルが尊いのは、それを手にできなかった人をおとしめるものでないからだろう。
現実の世界での人の思いは十人十色、百人百様で、それを一つに束ねることは至難である。そこでは一人ひとりが孤立、孤独を意識する。損得を離れた遊びの心の世界では、みんなが一つになることができる。自分の創造力を成長させるだけでなく、みんなが一つになって人の輪と和を広げてくれる。
遊びの心を育てる場は、歌、スポーツ、釣り、旅行など挙げればきりがない。が、趣味・好みを問わず、だれもが一つになれる場ということになると、角打ちの右に出るものはないだろう。遊びの心が人生を支えてくれる創造力の産みの親だとするなら、美味しい酒は遊びの心をくすぐり育ててくれる育ての親。角打ちは、素敵な酒との出会いを演出し、人生をリフレッシュし、豊かにしてくれる。その中に芽生えた新しい創作活動は、それに参加する人たちの創造力をさらに倍増させる触媒となるに違いない。
(吉本光一)
酒と私・・・・二十三歳の思い出
昨年をふり返って実感として言える事は、実に良く酒を飲んだという事だ。
入社して丁度一年目、この一年間ほど、酒に親しみ酒に酔った事はない。
まだ若年で、先輩ばかりしかいない会社で、一人前に酒を毎晩飲むなどは、分相応ではないかも知れない。飲み過ぎの為の嘔吐と、その後に来る激しい頭痛と胃と腸のアンバランスの為に遅刻した事数回。
だが私は酒によって学んだ人間と人間の触れ合い、酒に対しての憂慮を思うと決してこの一年間飲んだ事は無駄ではなかったと思う。
現在の厳しいソシアルなメカニズムに耐え切れないで飲むとか、半ばペシミストになってデカダンスな傾向で飲むとかは言いたくない。現在の己の立場、毎日毎日の生活のリズムからの逃避はないとは言えないが、一日を完全に終わらしめる宴と言いたい。
私の父が飲み過ぎた為に、57歳にして、大きな鼾をかきながら他界した時程、酒に対しての恐怖心と甘い切ない人生に於いての無常を感じた事はない。
酒を愛する多くの人は、それぞれ酒を飲む事に、持論を持っていると思う。感性的欲求的現実と低欲的現実。前者の超越されざる面と後者の離脱されざる面、この間に私の持論とする精神的な自由がある。
理想と現実の間にペーソスがある様に、素面と酒気の間に本来の己があると思いたい。
それは究明できるものでないかも知れないが、雑騒とした中で、先輩と語りながら飲む時、雑多な話題の中にふと何かを知覚する時がある。
又私は酒を飲む事によって、数多くの先輩や友を持つ事ができた。そしてその人達は皆、酒を愛する善人である事を知った。小さな人間同志が、一杯の盃によって少しでも心が触れ合うならば、私は一生酒を飲み続けたいと思う。
(浦野廣明)
人と人を結ぶ・・・お酒
春のお彼岸ですね。
皆さんはお墓参りにはちゃんと行かれてますか。
春分の日を中日に、前後3日を合わせた7日間を「お彼岸」といいます。
「酒はこれ忘憂の名あり これを勧めて 笑うほどになぐさめて 去るべし」という言葉があります。“忘憂”とはお酒の異名であり、ひらたく言いますと「亡き人を想い、悲しんでいる人を前にした時は、ただ黙ってそばに座りお酒を飲み交わすべし」という意味があるそうです。
お彼岸は、種まきや収穫など自然に対する感謝と、ご先祖様への想いや感謝が繋がる大切な行事だそうです。
酒はいろいろな効用があり 酒無くて何の楽しみが・・・
今夜もちびりとやるか。
(酒夢人:諸岡昭男)
朝日歌壇の酒模様
昨年の10月から今日まで、朝日歌壇(朝日新聞)の酒に関する歌を集めた。
選者評(評のないものもある)と呑兵衛としての私評を記してみた、皆さんの
感じる酒との比較をしていただければ。
・手ぬぐいをはちまきにして君が呑む酒ふるさとに秋が来てゐる
おいしい秋。手ぬぐい鉢巻の姿が愉快だが、君とはどんなひと。(選者評)
胡坐をかき、生まれ在所の酒を呑んでいる、今年はふるさとに一緒に帰る?(私評)
・酒豪なる父なき後の徳利は今夜満月芒穂を挿す
いい家族、また、この様な呑兵衛で終わりたい。(私評)
・とくとくと備前の徳利音のよしままかり酢漬けありてなおよし
高価な徳利のぬる燗と好物のアテ。今日も自分に「ご苦労様」。(私評)
・ロシア人おみな女性二人が寿司広げ湾を愛でつつ缶ビール酌る
舞鶴市の歌人。ロシアとの交易が盛んな地域。外人パブ従業員の昼間のひと時?
祖国を思いながら呑むビールの味は。(私評)
・疲れての旅の終わりの大垣に芭蕉に代わり酒少し飲む
大垣は奥の細道「むすびの地」。旅先で芭蕉を思い、少しの酒で乾杯。(私評)
・立ち飲みでホッピー二杯をぐっと空けわれを放てり神田駅前
仕事帰りの一杯、帰宅するのか次の店に行くのか。(私評)
・青芒葉先丸めて門に挿しやなむん魔物入るなと泡盛を打つ
シバサシ(魔物払いの行事)を詠む。南島の人々の祈りが伝わってくる。(選者評)
酒と言えば、沖縄は泡盛、鹿児島は焼酎。(私評)
・チューハイでご苦労様と乾杯をした退職の夜は失業の夜
定年退職でなく人員整理、質素な送別会ほろっとする。
小生は60歳で定年退職、恵まれている、恵まれた。(私評)
・ほろ苦きあけび通草実の皮の炒め煮をつま摘みに酌まん今日廃業す
廃業の悲しみは言葉に表しがたいだろう。
その心を癒すための、ほろ苦いツマミと酒。(選者評)
この酒は不味い。通草実の皮のツマミであれば、体力による廃業と思いたい。(私評)
・二十代は酔ふために呑んだ酒今七十代寝つかれず一口ふくむ酒
分かる。小生も二十代はよく呑んだ、今の六十代でも呑んでいる。
一口で済む呑み方は悲しく感じる。(私評)
おまけにわが一首を。
・角打ちの強面で奨めるその酒はわれをとりこ銘酒「鍋島」
酒には関係ありませんが、朝日歌壇、1月に掲載された暗号のような歌、2/26の朝刊でやっと理解。
・六二三、八六八九八一五、五三に繋げ我ら今生く
「六二三」は沖縄戦終結の日、「八六」「八九」は広島と長崎に原爆がそれぞれ
投下された日、「八一五」は終戦記念日、「五三」は新憲法施行の日。
ちょっと、平和ボケと酔いが醒めたらご容赦。
(安行啓二)
心のガソリンスタンド
現代はストレス社会であり様々なプレッシャーの中で私たちは生活しています。特に仕事においては、毎日、大小ピンチの繰り返しです。換言すれば、毎日、ピンチを受けるために職場に通っているようなものです。そのような日々の仕事の中、知恵と気魄、同僚の
サポートでピンチを潜り抜け、仕事を無事にやり遂げた時の喜びは格別であり、また、仕事のやり甲斐や面白さもそこにあると言えます。そんな仕事が捗った日には、私は一人で
「はらぐちさん」の角打ちに行きます。会社の同僚と一緒に行って飲むのももちろん楽しいのですが、私は「はらぐちさん」で春夏秋冬いつ行ってもキンキンに冷えている生ビールを一人で飲みながら、静かに同僚に感謝し、一日の終わりに感謝します。
しかし、一人で静かに飲むと言っても、それは、最初の1、2分のみで、5分も経てば気の置けない仲間や人生の大先輩方と一緒に大笑いながらジョッキを傾けています。そんな仕事帰りの「はらぐちさん」でのお酒は最高に美味しいです。
「酒は憂さを払う玉箒」という諺もある様にお酒は、大脳の動きを程よくマヒさせ、精神的なストレスを解消してくれます。同時に肉体的な緊張もほぐれ、心身のストレスによって起こる病気や症状の改善に役立ちます。そして、お酒の効用として何よりも重要な点は明日への活力を生むという点です。
「はらぐちさん」で愉快な仲間や人生の先輩方と最高に美味しいお母さんの手料理を頂きながら、多種多様なお酒を飲むことは私にとって至上の悦びです。そして、「はらぐちさん」でのひと時が楽しいのは、心身共に健康な時です。
仕事もなかなか大変ですが、これから働き盛りの年代を迎える私にとって、仕事が忙しいことや困難が多いことは当然のことであり、次へのステージへ進むために困難や苦労は避けては通ることができません。そんな仕事の帰りの小一時間、明日への活力を養うために「はらぐちさん」でお酒という名のガソリンを充填しています。「はらぐちさん」はそんな私にとっての心のガソリンスタンドです。
(中村洋介)
飛騨の酒
(辛口だが、すっと喉をうるおす。愚息と娘婿と飲む予定だった、飛騨高山の産“原酒ひだ正宗”。)
この冬、久し振りに雪国を旅した。兼六園、白川郷、高山まで新幹線とJRとバスの組み合わせツアーだった。
JR敦賀駅を越えると早速雪下ろしの風景に会った。屋根に積もった雪は2m、今年の冬は厳しい、越後の豪雪に何度も泣かされた者にとっても、驚きであった。
かんじんのお酒、最後の目的地、高山市街には、20数軒の酒蔵があり、この日は7軒の蔵開き中、試飲、オールOKだと聞いていた。この酒、バスに乗り込む5分前、やっと
手に入れた。なんとこのツアー高山滞在1時間、陣屋周辺の散策のみに終った。
何時もながらの早合点、人生いつもこの調子である。
(白石傅)
発刊にあたり
呑兵衛がコップの代わりにペンを持つなど想像もしませんでしたが、ふとした弾みで、老体内にも燃え尽きずに残存している創作力の火種を掻き立てたら心の健康にも良いのでは、と、はらぐち会メンバーの遊びの心が一つにまとまり、小誌の発刊に至りました。今宵の酒のつまみにして頂ければ幸いです。
整った組織も財政基盤も持たないはらぐち会ではありますが、月一ないし二月に一回のペースをめざして祇園山笠に負けない気勢をあげています。昔カストリを飲んだら3合で(酔い)潰れたことから「かすとり雑誌」(三号で潰れる)の流行語が生まれましたが、いま人生80年、70代でも若手に負けじと「呑む」時代、三号で潰れたら角打ちの酒が泣きます。だれでも歓迎、投稿をお待ちします。題材、文の長短を問いません。「酒」に縁のある内容であれば言うことなしです。
投稿は、はらぐち酒店に預けていただくか、kei2@bronze.ocn.ne.jpへ宜しくお願いします。
(編集者一同)
はらぐち酒店:
北九州市戸畑区中本町4番9号
電話093−871−2150 sake-tobata@nifty.com